羽黒山の門前町である手向宿坊街(とうげしゅくぼうがい)には、山伏(やまぶし)が経営する宿坊が軒を連ねており、一般客の受け入れを行なっている宿坊もあります。山伏は山岳修行の実践者を指す言葉で、手向の山伏たちは、出羽三山の山中で厳しい修行を行っています。手向宿坊街は「八方七口(はっぽうななくち)」と呼ばれた出羽三山への登拝口の中で、最も栄えた場所で、江戸時代には300以上の宿坊が存在していました。しかし、明治時代に入ると、神道を中心とする国作りを進めた政府により、神道と仏教が混淆する山伏達の活動は禁止されました。これにより、他の地域では 山伏が関わる宿坊の多くが失われてしまいました。複数の宿坊が現存する手向宿坊街は、かつての日本の姿を今に残す貴重な場所なのです。宿坊は「霞(かすみ)」や「檀那場(だんなば)」と呼ばれる宿坊ごとの担当地域を持っており、「講(こう)」と呼ばれる信者のグループ参拝を受け入れています。手向の宿坊街では現在でも白衣に身を包んだ参拝者達の姿を見ることができます。宿坊の山伏達は現在でも各地に存在する講を訪れ、人々の悩みに寄り添い、日夜真剣な祈りを行っています。ただの旅館とは違う、生きた宿坊がここにはあります。
手向の宿坊は、それぞれ山伏の家族によって営まれ、巡礼者を温かく迎えています。
各宿坊には個性と特色があり、ご自身に合った宿坊を探して訪れることをお勧めします。ここでは、手向の宿坊の基本情報とともに、各当主の想いについてもご紹介しています。